2008年12月04日 (木)
皆さんは、「絶望」という心境が、一体どんなものか、考えてみたことがありますか?
「ケータイ」を親に取り上げられて絶望したという人もいるだろうし、国家試験に落ちたとか、大学受験に失敗したとか、リストラされたとか、失恋したとか、破産したとか、そりゃあもう、「絶望」という言葉から受ける印象は百人百様だろうと思います。
「甘え」や「わがまま」や「自己中心」などの言動から必然的に発生する「絶望」と、「自己統制」や「社会調和」や「献身・奉仕」といった言動から発生する「絶望」とは、同じ言葉でも全く質の異なるもの、ということぐらいは、どなたにもご理解いただけるものと思います。
世の中というものは、中々自分の思うようにはいかないものです。そういう時に役立つ思考法が、論理療法の考え方です。要するに、自分の受け取り方を修正するという試みです。
変えられない過去にこだわるよりも、変えられる未来に向かう人生を、と願う人には、精神分析や交流分析が役立ちます。自分の幼児期や青年期を振り返って自分の性格性向を考察し、将来に向かって性格を修正するための様々な思考や訓練を試みる、というわけです。
心理学やカウンセリング理論も百花繚乱の状態で、世界中で毎日新しい理論が生まれていると言っても過言ではない状態ですし、当然、カウンセリングのスタイルもカウンセラーの数ほど有ると思います。
自分はロジャーズ流だとか、いやいや心理テストからとか、色々と言う人もいます。
オーソライズされた理論を学び、代表的なカウンセリングの技法をひと通り学習して訓練を積むこと、これがとても大切であることは間違いないことでしょう。大学や大学院などで修練を積むことができれば、それはそれでまた立派なことだと思います。
しかし、ある人にとっては、母親や祖父母、先生や上司、親友などが最高のカウンセラーだったりする、というのもうなずけますよね。それはその方々がその人にとって、最も良き理解者だったからです。
ところで、癌患者の苦しみとか、倒産企業の経営者の苦しみとか、失業者の苦しみ、生活保護世帯の苦しみ、母子世帯の苦しみ、障害者の苦しみなどとなると、私とて、その当事者の「苦しみ」を同じように理解することなどできません。
これは、理論や技法でなんとかなるものではないからです。鈍感な人にはムリ、かといって敏感過ぎる人は転移が恐い、といったところでしょうか。
しかし、苦しんでいる人に、何かできないだろうかと一生懸命に心を尽くすことはできそうな気がします。その一方で、一度も失業の経験が無い人に失業者の気持ちを理解することなど、本当にできるのだろうかという疑問も生じます。
そういう意味で、私は、自分のカウンセリング力に制限を課しています。つまり、自分の経験が及ばないクライエントからのカウンセリングの申し込みは辞退するようにしているのです。
これはあくまでも、私のカウンセリング・スタイルに過ぎませんから、皆さんに強要するつもりはありません。
クライエントからすれば、今日ではHPなどでカウンセラーのプロフィールを簡単に検索することができますから便利ではあります。ただ、プロフィールと言っても、ドコそこの大学院で〇○の理論・技法を専攻したなどの情報だけでは、本当に自分にピッタリ合ったカウンセラーなのかは不明です。
プライバシーの問題もあり、個人の情報をあからさまに公開するのは逆効果になるやも知れず、熟慮が求められるところです。
こんなことを長々と書いたのは、これからカウンセリングを利用しようという方々のためです。カウンセラーの資格や学歴等は、単なる参考に過ぎず、これにも当然セカンド・オピニオン的発想で臨んで欲しいと思います。
真剣に人生を生きようとする人達のために、「カウンセリング」は用意されているのですからね。カウンセラーの学歴や資格、理論・技法に振り回されないように、ご注意あれ!
「ケータイ」を親に取り上げられて絶望したという人もいるだろうし、国家試験に落ちたとか、大学受験に失敗したとか、リストラされたとか、失恋したとか、破産したとか、そりゃあもう、「絶望」という言葉から受ける印象は百人百様だろうと思います。
「甘え」や「わがまま」や「自己中心」などの言動から必然的に発生する「絶望」と、「自己統制」や「社会調和」や「献身・奉仕」といった言動から発生する「絶望」とは、同じ言葉でも全く質の異なるもの、ということぐらいは、どなたにもご理解いただけるものと思います。
世の中というものは、中々自分の思うようにはいかないものです。そういう時に役立つ思考法が、論理療法の考え方です。要するに、自分の受け取り方を修正するという試みです。
変えられない過去にこだわるよりも、変えられる未来に向かう人生を、と願う人には、精神分析や交流分析が役立ちます。自分の幼児期や青年期を振り返って自分の性格性向を考察し、将来に向かって性格を修正するための様々な思考や訓練を試みる、というわけです。
心理学やカウンセリング理論も百花繚乱の状態で、世界中で毎日新しい理論が生まれていると言っても過言ではない状態ですし、当然、カウンセリングのスタイルもカウンセラーの数ほど有ると思います。
自分はロジャーズ流だとか、いやいや心理テストからとか、色々と言う人もいます。
オーソライズされた理論を学び、代表的なカウンセリングの技法をひと通り学習して訓練を積むこと、これがとても大切であることは間違いないことでしょう。大学や大学院などで修練を積むことができれば、それはそれでまた立派なことだと思います。
しかし、ある人にとっては、母親や祖父母、先生や上司、親友などが最高のカウンセラーだったりする、というのもうなずけますよね。それはその方々がその人にとって、最も良き理解者だったからです。
ところで、癌患者の苦しみとか、倒産企業の経営者の苦しみとか、失業者の苦しみ、生活保護世帯の苦しみ、母子世帯の苦しみ、障害者の苦しみなどとなると、私とて、その当事者の「苦しみ」を同じように理解することなどできません。
これは、理論や技法でなんとかなるものではないからです。鈍感な人にはムリ、かといって敏感過ぎる人は転移が恐い、といったところでしょうか。
しかし、苦しんでいる人に、何かできないだろうかと一生懸命に心を尽くすことはできそうな気がします。その一方で、一度も失業の経験が無い人に失業者の気持ちを理解することなど、本当にできるのだろうかという疑問も生じます。
そういう意味で、私は、自分のカウンセリング力に制限を課しています。つまり、自分の経験が及ばないクライエントからのカウンセリングの申し込みは辞退するようにしているのです。
これはあくまでも、私のカウンセリング・スタイルに過ぎませんから、皆さんに強要するつもりはありません。
クライエントからすれば、今日ではHPなどでカウンセラーのプロフィールを簡単に検索することができますから便利ではあります。ただ、プロフィールと言っても、ドコそこの大学院で〇○の理論・技法を専攻したなどの情報だけでは、本当に自分にピッタリ合ったカウンセラーなのかは不明です。
プライバシーの問題もあり、個人の情報をあからさまに公開するのは逆効果になるやも知れず、熟慮が求められるところです。
こんなことを長々と書いたのは、これからカウンセリングを利用しようという方々のためです。カウンセラーの資格や学歴等は、単なる参考に過ぎず、これにも当然セカンド・オピニオン的発想で臨んで欲しいと思います。
真剣に人生を生きようとする人達のために、「カウンセリング」は用意されているのですからね。カウンセラーの学歴や資格、理論・技法に振り回されないように、ご注意あれ!
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